福すけの音楽の森♪+α

楽曲紹介ときどき雑記

大学の奨学金を15年以上返済し続けている話(前編)

 

こんにちは。福すけです。

 

今回は自分語りの回として、奨学金の話をしたいと思います。

 

思いのほか長文になってしまったので、2回に分けさせてもらいました。

 

 

僕は2005年4月に私立の某4年制大学に進学したのですが、当時は家計が厳しくて親から学費を出してもらうのは難しかったため、入学時に日本学生支援機構から奨学金を借りました。

 

その額は、3850000円(あえて万円と書かないほうがなんかリアル)。

 

専攻は法学部だったので、1年平均で約100万円の学費がかかる計算です。

 

それで、4年後に無事卒業して、その年の年末ごろから奨学金の返済が始まり、今年で15年目を迎えたわけですが、結論から言うと

 

 

「めちゃくちゃしんどい!!!!!泣」

 

 

ということでございます。

 

毎月の返済金額は17000円で固定していて、この金額をひたすら払い続けているのですが、借りた当時は、こんなに返済がきついものだとは想像していませんでした。

 

高校時代にはアルバイトも少し経験していて、当時していたスーパーの惣菜売り場の時給が720円と低めだったので、お金を稼ぐ大変さは少しくらいわかっていたつもりですけども、いざ奨学金を借りるという時にはなぜか

 

「大学卒業して就職したら普通に返していけばいいか」

 

と、普段は慎重な僕がえらく楽観的になっていました。

 

まあ、どっちみち奨学金を借りなければ大学生活が始められないので、仕方ないといえば仕方がないのですが、奨学金の返済が未来の自分をこんなに苦しめることになろうとは、全然イメージしていませんでした。

 

     ◇

 

僕が大学に行こうと決めた一番の本音は「高卒で就職したくなかったから」でした。

 

高校までロクに勉強もせず、部活や課外活動などもせず遊んでばかりいたので、そんな人間がいきなり社会に放り出されて何ができるのか?

 

とにかく怖かったのです。

何もできない自分が。何も持っていない自分が。

 

仕事ができなくて周りに非難されて傷つき、目の前が真っ暗になって立ち直れなくなるかもしれないと。

 

そんなことを考え出すと、もはや生きること自体が恐怖になり、当時は人前で平静を装っていたものの、心の中では不安と恐怖で押しつぶされそうでした。

 

だから、大学に行って人生を再スタートさせようと高校3年の夏ごろに決意しました。

 

勉強嫌いな僕が「大学に行きたい」と言い出した時、母はかなり驚いていましたが、その後は受験や予備校にかかる費用の工面や、知り合いの家庭教師を連れてきてくれるなど色々と後押ししてくれました。

 

現役で受験した時は、志望校すべてに落ちました。

高校3年当時の僕の学力は絶望的な状態だったので、うまく挽回はできませんでした。

 

結局1浪して予備校に通いながら1年間勉強しましたが、この年も全部不合格。

正直かなりショックでしたが、それでも諦められず、母になんとか2浪することを許してもらい、背水の陣で臨みました。

 

ま、もともと勉強の習慣がなかったですし、どうしても「やりたくないことをやらされている感」が拭えず、集中力が切れて中断することもよくあったので、なかなか成績に結び付かなかったのかなと当時を振り返ってそう思います。

 

そして、大学で何をしたいかが曖昧がゆえに、「志望校に絶対受かりたい!」という執念や強い気持ちが足りなかったことも上手くいかなかった大きな要因かなと思っています。

 

結局、本命の志望校には合格できませんでしたが、滑り止めに何とか合格して、晴れて大学生になることができました。

 

受験勉強が終わった当時の僕は、嬉しさよりも「やっと次のステージに進める」というホッとした気持ちの方が強かった気がします。

 

     ◇

 

大学では法学部を専攻し、主に憲法、刑法、民法などの固い法律科目に加えて、国際政治や日本政治、東欧の歴史、中国語なども学びました。

 

ちなみに、なぜ法学部だったのかと言うと、世の中のルールである法律に漠然と興味があったのと、「刑事ドラマ(踊る大捜査線古畑任三郎など)」や「〇〇警察24時」みたいな番組が好きでよく見ていたので、そのあたりが決め手になりました。

 

3年生になると少人数制のゼミに入り、日本政治史をメインに戦前日本の政治や東京裁判などを深掘りしたり、ゼミ仲間とソフトボール大会やスノボー合宿に行ったりして楽しい時間も過ごしました。

 

また、それ以外では、

 

・本を読むこと

・資格を取ること

・武道を1つやること

 

に取り組みました。

 

大学進学の時に母がこの3条件を出してきたので、とりあえず資格の方は、当時ユーキャンの資格講座で上位人気だった「行政書士」の勉強をはじめたのですが、結局2年くらいで辞めてしまいました。

 

やっぱり「行政書士になってこれをやりたい!」ということも特になかったですし、色々調べていくと、どうやら行政書士の資格だけで食べていくのは厳しく、中小企業診断士宅建などの資格を複合的に取って、さらに顧客の開拓などの営業や実務経験が必須になってくるということがわかり、自分には向かない気がして諦めました。

 

武道は「合気道」に興味があったので部活に入り、授業が終わったあとの週4回、1日3、4時間みっちり稽古していました。

その成果なのか、今でも技のいくつかを覚えていて、無駄ではなかったかなと思っています。

 

さらにアルバイトもやりました。

家が経済的に厳しかったため、部活がない週3回は、近所のスーパーの青果売り場で夕方5時から夜10時まで働きました。

 

特に1年生の頃は(あの大谷翔平選手も驚く?)勉強、部活、バイトの3刀流をやっていて、あまりの忙しさに平日は朝7時ごろ家を出て、夜は10時過ぎに帰宅、家ではほぼ寝るだけの生活をしていました。

 

ただ、そんな生活も長くは続かず、2年生になって間もなく合気道部を辞めました。

 

実は、僕の家から大学までは片道2時間もかかるため、体力的にも精神的にも余裕がなくなってきたからです。

 

そしてもう一つの大きな理由が、合気道部での昇段試験を僕だけ受けさせてもらえなかったことです。

 

合気道部ではだいたい半年に一度昇段試験があって、その時は合格すれば5級(白帯)から3級(茶帯)に上がれるはずでしたが、僕だけ稽古の出席日数がわずかに足りないということで、部長から受験の許可が下りなかったのです。

 

それまで自分なりに工夫しながら頑張ってきたつもりでしたが、その旨が伝えられると、僕の中で張り詰めていた糸がプツンと切れてしまいました。

 

僕とは違って、部活の先輩や同級生たちは親の仕送りで生活できている人たちばかりで、大学のすぐ近くに住んでいる人も多かったですし、バイトをしている少数派の先輩でもやはり家が大学の近くにあったので、正直羨ましく思うこともありました。

 

こうして、僕は勉強とバイトだけの生活になり、時間的、体力的にはだいぶ楽になりましたが、その分にぎやかだった人付き合いが一気に減り、大学生活にだんだん味気なさを感じるようになっていくのでした。

 

To Be Continued

 

出典:photoAC